Hello,(beautiful)world.

そんな眠りが欲しい。

性教育、血縁者がするの難しいねって話

テレビで紹介されていた性教育YouTubeチャンネル試しに見てみたら普通に良かった。

助産師の話が聞けるってすごい時代だ。

普通に暮らしてたら一切関わらない可能性高高だからな〜。

あと、「教えるべき大人が恥ずかしがって隠すから悪い」とはっきり言ってたのも良かった。

 

そしていつものタイトルの通り記事です。

 

いろんな家族の形がある故に、たとえば「愛し合う人同士でする行為」とかってふんわり理想論な説明に無理がない?

こればっかりは第三者必要でしょ。

自助努力ではどうにもならないこともある。共助や公助の世界。

子供が産まれるには人間は二人必要だけど、子供が育つのに肉親が必ず存在しているかどうかは分からんからな。

 

あと、性的同意(合意)の確認とかってやっぱり第三者(他人)とのコミュニケーションだから血縁外からの教えの方が良い気がする。

ケコーンからようやく肉体関係とか今の時代にそぐわないでしょ(あ、別にそういう主義の方を責めるわけではなく、普通に縁組の在り方として、ほとんどの人が自由恋愛になったって話な)。

あと生まれた時から一緒の相手の「あれ取って」みたいなふんわりで伝わるコミュニケーションと、そうじゃない相手では天地の差すぎる。

二人きりで飲みに行ったからOKとか、えちーな発言しても笑ってくれてるからとか、アホな(非モテ〜な)思い込みするくらいならスパッと直接聞けって話だ。※流石に喩えが昭和か?

 

 

 

そういえば昔、異性の親で困ってた人いたなーと思い出してしまった。

本人が気づこうが気づかまいが、服装とか、言動から、明らかに「あの家は親が…」と周りが感じてたよ。そう思い返せば、きっと自分自身もそう思われてただろう(草)。

それについてどうこうはないけど。ただ、本人や少ない家族が自力で気付くの難しいので、ちょっと無理して頑張らないと分からないことがあるってこと。

 

そう思うと、ネット社会で、YouTube発信力って、すげー視点変わるよな…。

もちろん真偽定かでない人もいるとは思うし、トップYouTuberのほとんど決まった台本あるんだけどさ。

専門知識のある人の情報(しかも複数)へのアクセスしやすさは格段に違う。

 

というか、今の子の情報選択能力って本当どうなってるんだろう。自分だったら頭爆発してる。(すでに追いつけない)

こういう話するたびに、スマホすら持てないだろう家庭のことを考えてしまう。。

 

スマホから書いてるのでいつも以上に頭の悪い文章になってしまったすまん。

失った悪友を歌う曲なのでは??

あまりにも歌詞が尊くて書く。

この記事は一個人が特に何も調べず聞いただけの妄想文である。

 

米津玄師氏の「感電」という曲だが、おそらく苦手な人もいると思う。

なぜなら、明らか事故死を想像する歌詞&MVだからである。

 

ただ、自分が思うに、ここまで近年稀に見る「高度な感情表現」はあまり見ないように思う。MVや歌詞に一切事故や死といった言葉は出てこないのである。

 

もちろん、故に自分の勘違い(読み取りミス)の可能性もあるが、そう思って聞く/見る方がものすごい破壊力がある。

 

「きらめき」を命や人生、あるいは、友人と過ごす一時の思い出を連想したのは、失った後の消失感溢れる朝よりも、直前走馬灯駆け回った夜の方がマシと思える感性で、自分は深く共感を抱いた。

 

なにより、返事はないとわかっているからこそ、返事は要らないと言い捨てるのは、きらめきを大事にして現実を見たくないとい気持ちの表現としてはかっこよすぎて本当にやばい。(語彙力消えた)。

 

以下、ただの感想羅列。

・歌詞に犬や猫が出てくる。事故は人為的なものではなく動物の飛び出しか?(この場合の動物は、人も含む)一番二番とで時間軸の展開があること、MVのラストからおそらくの動物を割り出せる。

・MVラスト、煙が立ち昇る車は直接的だが、すぐ後、氏の位置関係は推測となる。自分は個人的には、ハンドルを握っているのが友人と思って見ている。(なぜならメインで歌う氏が車の外や助手席であること、近寄る氏に対し、運転席からのアクション少ない)

※ただしこれは、画面の見え方であって、たとえカメラの位置で読み取るのであれば真逆の推測ができる。

・唐突な睡蓮=仏教の花。葬儀など、サイレンの音など、事故後の現実感を持てない感じ。境界線はわからない。

・タイトルの感電と歌詞の稲妻の関係性。感電とは、一般的に「電気に当たって痺れること(被)」。稲妻は稲光そのものである。

感電=被害者の位置づけとなるが、稲妻(主体)として存在していたことを強調する。いなくなった人が何を思うかは本当には分からないが、友人同士(どちらかというと、よく夜に遊び歩くような悪友的な関係)からするとその時の一瞬一瞬を、夜を楽しんでいた、のだと主張。

 

「きらめき」が命とか時間、思い出の主張とかエモすぎてエモい(語彙力)

 

失ったことの後悔や追悼よりも、はっきりと響くのは、失ったものの価値や感情を歌っているからではないかと思う。

どちらにせよ、生きなくてはいけないのだ。返事はなくても、きっと自分自身の人生も、稲妻のように生きていく。

 

なんでただの友人や恋人ではなく悪友かと言うと自分がその設定が好きだからに違いない。勝手な印象である。

背景の、夜の遊園地は流石に恋人感あって悩んだが、友人と二人で遊園地行くのも別に変なことではないだろう(強気)。

あと、メリーゴーランドとか夢の国的な「一瞬の楽しさ」表現とも取れる。

 

まとまりのない感想文だが、以上。

いろいろ書こうと思ったことあったはずだが完全に忘れた。夏の暑さと冬の寒さで選ぶと服が偏る。

今日も書こうとしていたことよくわからんくなった。

 

ながら通話しながら衣替えした。

意外と秋のみの服ないな、と思ったら、そもそも夏の暑さと冬の寒さに耐える服ばかりだった。

 

そして今年の夏は全然出かけなかったので買ったは良いが着ていない服の多いこと。

節約とはこういうところからなのかもしれないが、自分の好きなデザインの服屋が存続しないのも困る。

とりあえず、秋着れるものを一通り出してみて、物足りない+着回しバランスで追加したいものをピックアップ。

 

イメージするもののは常に最強の自分だ。

 

今日もBluetoothキーボードで記事を書いている。膝の上でも打てる。キーのバランスは設定し直したらましになった。

そんなことより、日中なにかこうというメモだけでも残しておきたいものである。

いくつか思いついていたはずなのに夜になるとさっぱりわすれている。鶏。