Hello,(beautiful)world.

そんな眠りが欲しい。

失った悪友を歌う曲なのでは??

あまりにも歌詞が尊くて書く。

この記事は一個人が特に何も調べず聞いただけの妄想文である。

 

米津玄師氏の「感電」という曲だが、おそらく苦手な人もいると思う。

なぜなら、明らか事故死を想像する歌詞&MVだからである。

 

ただ、自分が思うに、ここまで近年稀に見る「高度な感情表現」はあまり見ないように思う。MVや歌詞に一切事故や死といった言葉は出てこないのである。

 

もちろん、故に自分の勘違い(読み取りミス)の可能性もあるが、そう思って聞く/見る方がものすごい破壊力がある。

 

「きらめき」を命や人生、あるいは、友人と過ごす一時の思い出を連想したのは、失った後の消失感溢れる朝よりも、直前走馬灯駆け回った夜の方がマシと思える感性で、自分は深く共感を抱いた。

 

なにより、返事はないとわかっているからこそ、返事は要らないと言い捨てるのは、きらめきを大事にして現実を見たくないとい気持ちの表現としてはかっこよすぎて本当にやばい。(語彙力消えた)。

 

以下、ただの感想羅列。

・歌詞に犬や猫が出てくる。事故は人為的なものではなく動物の飛び出しか?(この場合の動物は、人も含む)一番二番とで時間軸の展開があること、MVのラストからおそらくの動物を割り出せる。

・MVラスト、煙が立ち昇る車は直接的だが、すぐ後、氏の位置関係は推測となる。自分は個人的には、ハンドルを握っているのが友人と思って見ている。(なぜならメインで歌う氏が車の外や助手席であること、近寄る氏に対し、運転席からのアクション少ない)

※ただしこれは、画面の見え方であって、たとえカメラの位置で読み取るのであれば真逆の推測ができる。

・唐突な睡蓮=仏教の花。葬儀など、サイレンの音など、事故後の現実感を持てない感じ。境界線はわからない。

・タイトルの感電と歌詞の稲妻の関係性。感電とは、一般的に「電気に当たって痺れること(被)」。稲妻は稲光そのものである。

感電=被害者の位置づけとなるが、稲妻(主体)として存在していたことを強調する。いなくなった人が何を思うかは本当には分からないが、友人同士(どちらかというと、よく夜に遊び歩くような悪友的な関係)からするとその時の一瞬一瞬を、夜を楽しんでいた、のだと主張。

 

「きらめき」が命とか時間、思い出の主張とかエモすぎてエモい(語彙力)

 

失ったことの後悔や追悼よりも、はっきりと響くのは、失ったものの価値や感情を歌っているからではないかと思う。

どちらにせよ、生きなくてはいけないのだ。返事はなくても、きっと自分自身の人生も、稲妻のように生きていく。

 

なんでただの友人や恋人ではなく悪友かと言うと自分がその設定が好きだからに違いない。勝手な印象である。

背景の、夜の遊園地は流石に恋人感あって悩んだが、友人と二人で遊園地行くのも別に変なことではないだろう(強気)。

あと、メリーゴーランドとか夢の国的な「一瞬の楽しさ」表現とも取れる。

 

まとまりのない感想文だが、以上。